東京で米を売っていた際に、目の前を「毛皮反対キャンペーン」の方々がデモ行進してました。
そのとき、「毛皮を使うなー!!フェイクファーを使おう!!」みたいな掛け声(シュプレヒコール)をかけてました。
が、それってどーなんだろ、とか思ってしまったのは自分だけなのかな。
(別に、「毛皮反対」ということ自体に意義を唱えてるわけではないです。)
だって、フェイクファー(化学繊維でできた人工毛皮)って、要は毛皮のニセモノなわけでしょ。
フェイクであっても、毛皮を使う以上、最終的(その先・その上)にはホンモノの毛皮が頂点にあることになるんじゃないかと。
だから、「毛皮がダメだからフェイクにしましょう」ではなくて、フェイクも含めて毛皮(風)ファッションをなくす方向に進めないことには、「せっかく毛皮(風)なファッションにするなら、やっぱりフェイクじゃなくてホンモノが欲しいわよね」ってことになるんじゃないかな。
だから、「毛皮を使うなー!!毛糸のセーターを着よう!!」みたいなシュプレヒコールなら理解できるんだけど、「毛皮を使うなー!!フェイクファーを使おう!!」と反対している人たちが堂々と言ってしまうのは納得できない。
すぐに毛皮(風)ファッションを排除するのは無理だから、まずはフェイクファーにしよう、ってなら理解できなくもないけど、毛皮反対の目指すところ(ゴール)が、フェイクファーってのは違う気がするんだけどね。
まぁ、自分は毛皮には縁もゆかりもない百姓なんですけど。。。